祈るように今を生きる
ずーっと続けてきたネットワーキング活動の中でゆるーく繋がった人が多くいるというのは自分にとってなかなかの財産であるなと感じています。
人に相談して今の窮地が解決できるかどうかはわかりません。。今までの経験則から言えるのは、どんな窮地でも生きていればなんとかなるということです。
誰かに窮状を話すことで、心理的には安定します。
無理せずに困ったときは一人で抱えずに様々な支援を受けるべきだったと今更ながらに思いますね。。就業中にパワハラで病んだときは知り合ったコーチングの人を頼ったり。江原啓之さんの本を紐解き自分でできる解怨の呪術を執り行ったりしましたが、やはり専門機関に相談すべきだったと思いました。
本来ならば私が身をおいていた会社の多くの人は疲弊していたので「労働者よ団結せよ!」と立ち上がるべきだったと思いますが、横通しのつながりにセーブがかかる旧共産圏のような空気感だったので無理でした。。
であれば霊的に強くなるしかないと思い 毎日御真言を唱え般若心経やガヤトリー・マントラを唱えた上で出勤していたのです。
苦しい時には空間ヒーリングの技法を使い、簡単なアロマを炊いたりもしました。
お昼休みには近くの神社を参拝してご助力頂けるように祈願もしましたね。
そのおかげもあって、霊的恩恵が周囲に波及した部分もあったと思いますが、やはり限界がありました。
自分のヒーラーとしての力量不足であったと思います。
会社がうまくまわるのは本質的には簡単なことで心理的安全性が担保できればそれでよく、企業の業績は組織風土で決まると言って過言ではないと私は考えます。
敢えて圧政を強いるのはなんらかの隠された動機がトップにあるのでしょう。
こういう過酷な環境下で不可避的に私の氣は練上げられていったと思います。
思い起こせば会社のパワハラ禍の前に、離婚時のモラハラやサイコバトルがあったので私の人生の道程はまさに精神世界の修業そのものでありました。
わざわざ山に篭もり滝に打たれなくても、その何倍もの圧を日常の中で対峙せざるを得なかったのです。
私の持ってうまれた資質を調べたところスピリチュアル方面の資質はほぼないのですが時の運の流れによって不可避的に育まれたと言って良いでしょう。
私の中で原点回帰の指向性が1つあります。
私の人生の方向性を大きく変える事になった出来事として高校2年の時にパニック障害に見舞われた事があります。
当時はこの病気に対する理解も周囲になく、脳機能の問題と思い母親と脳外科を受診したこともあります。偶然にも親が大学進学のために入ってくれていた通信制の塾のサポート内容に精神衛生カウンセリングのサービスがありこのサポートを受けたのが私の人生の転機となりました。
まさに八方塞がりの中から射した一筋の光明でした。
あのときにこのような出会いがあったのであれば今この状況の中でも光が射すのではないか。。。
その時の心理支援の先生から受けた内容を今一度思い返し神に対する自分自身に対する全託の心情をもって自分の人生を信頼しきりたいと思います。