ミッドライフ・クライシスからの本質探訪録

メディカルヒーリング練習記改め

感性を磨いていくと事の本質に近づける。。

2020年に開催予定だった東京オリンピックもコロナ禍の影響で、2021年に制約条件のある中での開催となりました。

1988年公開の映画「AKIRA」の中では、2020年の開催を危ぶむような描写が描かれていて、東京に感染症が蔓延するような設定も描かれているというから驚きです。

ご存じの方も多いと思いますが、こちらの記事が良くまとまっているので是非ご覧になってください。

diamond.jp

今回のオリンピック開催は個人的には、当初より違和感があり「8月の開催」となった時点で「正気か?東京の8月は暑すぎる」と思いましたし、新国立競技場の件では、国がやることにしてはドタバタが過ぎるのでは?と正直思いました。。

www.news-postseven.com

以前の国立競技場も十分に使用できたはずですし、結果として無観客での開催になったのですから、わざわざ建て替える必要なかったですね。。。レガシーを活用する。東京に競技施設や環境が整っているので選手の移動も少なくコンパクト。。つまりエコなオリンピックという私の勝手なイメージだったのですが、レガシーを作ることに重きがあったのでしょうか?負の遺産にならなければ良いのですが。。。

ここまでの流れを見て、私が感じたのは「世の中どうなっちまったんだい」という思いです。(長渕剛ばりに吐き出すように決めましょう)

”肚”で考えればわかることができなかった。。という感じでしょうか。。

そしてオリンピック以降、ますます混迷を深めるコロナ禍についてですが。。私は今回のコロナ禍が人々の意識向上や霊的覚醒に一役買っているのではないかと考えています。

日本でのニューノーマル時代の在り方が、コロナ禍によって5年早まったと言われていますが、逆にコロナがなければ変わらなかったということです。

実はコロナが来る前から「ライフシフト」で提唱されているような新しい時代の在り方、働き方が提唱されていたのですが、事の本質が理解できないのか?!変われない日本だから仕方ないのか、働き方改革と名打って、時短とか男性の育児参加を後押しする施策ばかりが目立ちますがそこが肝(キモ)ではないのです。

コロナ禍により強制的に”在り方”の変更を余儀なくされたからこそ、日本もニューノーマル時代への幕開けを迎えることができたと感じています。

 

そして今現在の極めて個人的なワクチン接種をめぐっての感覚的見解なのですが、やはり「保留」というスタンスを取らざるを得ないと思っています。

前述の東京五輪の右往左往と同様に、この新型コロナワクチン接種に関して、本来ならば当然心配すべき内容に対してのお上の回答が十分ではないですし、何より、最近の日本人は「同調圧力」が強すぎます。

直観的にワクチンのリスクを感じ取っている人が接種した場合にやたらと周囲に啓蒙?したがるのは、「私が打ったのだから、あなたも打たないなんで許せない」というルサンチマン的思考が見え隠れします。

ワクチン接種はあくまでも任意であり、個々人の健康状態はそれぞれ違うわけですから本人と担当医の判断でどうするかを決めればよいのですから他者が強制する性質のものではないはずです。

また、私の「保留」という判断は、個人的にも様々な情報を収集し、自分なりにエビデンスを査読した上で、自分の置かれている環境を吟味した結果です。

最期は「感覚」。。。頭で考えるのではなく「肚」で感じる。。。

恐怖を動機とするのではなく、愛と信頼で自分を尊ぶ。。。

そして自己確信。。。以前の記事にもワクチンに関しての見解を述べましたが、それよりも、打たない方が絶対良いという考えに振り子が揺れています。

haruharumax.hateblo.jp

 

いずれにしても、今のテレワーク下の自分の環境では、人との接触頻度も少なく感染リスクも低い上に、「呼吸」で体温が上がり免疫が上がることを実感しているので、食事も含めて免疫向上に注力していきたいと思います。